バック・トゥ・ベッドラム(初回限定スペシャル・プライス)
2006年3月24日 音楽
最近、「ユア・ビューティフル」を街でよく耳にするジェイムス・ブラント。
私もアルバムは持っています。声とメロディが素晴らしく綺麗で仕事しながらよく流してました。
彼は祖父・父と職業軍人の家庭に育ちながらも、情操教育にと母親が与えた楽器と音楽を愛していたそうです。けれど、「両親の強い勧め」で大学卒業後、陸軍に入り、22歳の時に大尉としてNATO平和維持部隊として3万人の部隊とともにコソボへ入る訳です。
ちょっと調べてみたんですが、1999年はNATOの大規模な空爆によってコソボは多くの一般市民が命を落としています。それを地面から見つめていた22歳の彼はどんなことを考えたんでしょう。
私の想像なんですが、ジェイムス・ブラントはおそらく戦地に向かうこと、軍人になることをそれほどリアルに考えてなかったんじゃないかと思います。両親のすすめ通りに生きてきた若者。
22歳くらいで何万という人に指示し、人の生き死にの現場に立ち会う覚悟があったとは思えません。
彼は戦車にボルトでギターをとめつけ移動し、夜、同僚が眠っているときに曲を作ったそうです。
ブーツをはいたままで眠るような現場で。
ユーゴスラビア元大統領ミロシェビッチ大統領が獄中死したというニュースを見て、
そういや確か今流行のジェイムスブラントってコソボに行ったんだよな、その時の曲があるのかも・・・と軽く考えて歌詞カードを改めてよく見てみました。
その曲が、アルバムの中、最後に収録されている「No Bravery」
複雑な民族対立があり、独立を阻まれてきたコソボ。そこは、セルビア教の聖地でもあります。
「コソボはとても美しい土地だった」
そうジェイムスブラントは話しています。その土地で起きたこと、彼が見たこと。
「ノー・ブレイヴリー」の歌詞を改めて読むと、彼の天使のように美しいと言われる歌声は実は地獄を見てきたからではないかと
思います。きっと彼はコソボに行かなければ、ミュージシャンとしてこの世に出るひとではなかった。
「またどこかの家族が死ぬ番だ。怖くて泣けずに子供が言う。 「彼がきていた」と」
私にも、隣人を殺すというユーゴで起きた泥沼の戦争をとうてい理解することはできないです。
できればそんなの理解したくもないです。人間がこの世の全ての悪意であり、すべての善意なのだとわかってはいても。
最近、芥川賞(だっけかな?)の候補作にあがった三崎亜記の「となりまち戦争」という本がありました。
恨みも憎しみもない隣人を「戦争」という理由だけで殺すことができない主人公に対して、多くの人を殺してきた上司は言うのです。生気のない顔で。
「死は奪うものではなく、与えるものだと考えれば簡単に世の中は変わるんですねえ」
また、浦沢直樹の「モンスター」というコミックの中でヨハンは主人公のテンマにこう言います。
「命は平等じゃない。「死」だけが平等なんだよ」
裁かれることなく、獄中死したミロシェビッチ。彼がとらわれた大セルビア主義と民族浄化。
なんとなく、そんなことを考えながらジェイムス・ブラントの曲を聴いていたら、いつの間にか朝になって窓から朝日が差し込んできました。
昨日は雨でしたが、今日は晴れのいい天気のようです。
私もアルバムは持っています。声とメロディが素晴らしく綺麗で仕事しながらよく流してました。
彼は祖父・父と職業軍人の家庭に育ちながらも、情操教育にと母親が与えた楽器と音楽を愛していたそうです。けれど、「両親の強い勧め」で大学卒業後、陸軍に入り、22歳の時に大尉としてNATO平和維持部隊として3万人の部隊とともにコソボへ入る訳です。
ちょっと調べてみたんですが、1999年はNATOの大規模な空爆によってコソボは多くの一般市民が命を落としています。それを地面から見つめていた22歳の彼はどんなことを考えたんでしょう。
私の想像なんですが、ジェイムス・ブラントはおそらく戦地に向かうこと、軍人になることをそれほどリアルに考えてなかったんじゃないかと思います。両親のすすめ通りに生きてきた若者。
22歳くらいで何万という人に指示し、人の生き死にの現場に立ち会う覚悟があったとは思えません。
彼は戦車にボルトでギターをとめつけ移動し、夜、同僚が眠っているときに曲を作ったそうです。
ブーツをはいたままで眠るような現場で。
ユーゴスラビア元大統領ミロシェビッチ大統領が獄中死したというニュースを見て、
そういや確か今流行のジェイムスブラントってコソボに行ったんだよな、その時の曲があるのかも・・・と軽く考えて歌詞カードを改めてよく見てみました。
その曲が、アルバムの中、最後に収録されている「No Bravery」
複雑な民族対立があり、独立を阻まれてきたコソボ。そこは、セルビア教の聖地でもあります。
「コソボはとても美しい土地だった」
そうジェイムスブラントは話しています。その土地で起きたこと、彼が見たこと。
「ノー・ブレイヴリー」の歌詞を改めて読むと、彼の天使のように美しいと言われる歌声は実は地獄を見てきたからではないかと
思います。きっと彼はコソボに行かなければ、ミュージシャンとしてこの世に出るひとではなかった。
「またどこかの家族が死ぬ番だ。怖くて泣けずに子供が言う。 「彼がきていた」と」
私にも、隣人を殺すというユーゴで起きた泥沼の戦争をとうてい理解することはできないです。
できればそんなの理解したくもないです。人間がこの世の全ての悪意であり、すべての善意なのだとわかってはいても。
最近、芥川賞(だっけかな?)の候補作にあがった三崎亜記の「となりまち戦争」という本がありました。
恨みも憎しみもない隣人を「戦争」という理由だけで殺すことができない主人公に対して、多くの人を殺してきた上司は言うのです。生気のない顔で。
「死は奪うものではなく、与えるものだと考えれば簡単に世の中は変わるんですねえ」
また、浦沢直樹の「モンスター」というコミックの中でヨハンは主人公のテンマにこう言います。
「命は平等じゃない。「死」だけが平等なんだよ」
裁かれることなく、獄中死したミロシェビッチ。彼がとらわれた大セルビア主義と民族浄化。
なんとなく、そんなことを考えながらジェイムス・ブラントの曲を聴いていたら、いつの間にか朝になって窓から朝日が差し込んできました。
昨日は雨でしたが、今日は晴れのいい天気のようです。
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