モオツァルト・無常という事
2006年4月19日 読書
きっかけは、石田衣良の「loveモーツァルト」という本だった。
この本はhttp://www.t-i-forum.co.jp/lfj/と深く関わっている。
二回目を迎えたこのGW中に東京で開かれる音楽の祭典「熱狂の日」。今回のテーマは生誕250年のモーツァルトだ。(ちなみに一回目はベートーヴェン)
石田衣良の代表作、「池袋ウエストゲートパーク」を読んだひとなら知ってると思うけれど、あの100枚くらいの短編には必ず一曲、その物語のテーマともいえるようなクラシックが出てくる。
主人公のマコトがクラシック好きで、彼が事件の謎と闘いながら車の中でかける曲や彼の実家である池袋の果物店でマコトが店番をするときに流す曲、など登場の仕方はさまざま。
石田衣良がクラシック好き、(さらにオーディオマニア)なのはその後のエッセイなどでよくわかってきたので、彼が「LOVEモーツァルト」を出してくれた時は、これはいいテキストになるなあと思った。
恥ずかしい話、私はクラシックに対する知識はおそらく小学校低学年レベル。(いやもっと低いかも)
この本には1238円という値段のわりにありがたいことにモーツァルトのCDがついている。
聴いてみてわかったけど、私がモーツアルトの曲で知っていたのは交響曲40番ト短調K550だけ。おまけに短調と長調の区別もつかないし、K550の意味もまったくわからなかった。(現在の知識ではK550というのは作曲された順番につけられた番号。500後半から600番台は35歳で亡くなった彼の最後の方の曲たち。ちなみに短調と長調の区別はいまだつかないけど私の主観で書けば、短調は悲しげな曲で長調は明るく伸びやかな印象)映画アマデウスはかろうじて学生の頃にみていて、彼の人生がどんなものだったかはなんとかわかっているという程度でした。
この本についているCDはあらゆる曲のいいとこどりで(まあ値段が値段だし文句言うなという感じだよね)
これでは物足りないなと、本の中の石田衣良が愛聴しているCDでも何枚か購入してみようかと思っているところへ、よく読んでいるブロガーさんがこんな特集を組んでくれた。http://blog.livedoor.jp/shinkimu1125 モーツァルトで10枚、予算は2万円。
同じ買うなら、詳しく教えてくれるひとがいたほうがずっとありがたい。
私の回りにいままであった音は「消費される音」でしかなかった。
もっと詳しく書くと、「そのシーズンごとに消費される音楽」。桜咲く季節であれば「桜ソング」という具合で、持っているIPODに入ってる曲も特別思い入れのある数曲以外はしょっちゅう入れ替わり、一度消された曲はたいてい二度と入ることはなかった。
でも改めてクラシックの世界を見てみると、モーツァルトにしたって、250年ものあいだ、人々に愛されて演奏されつづけているのだ。平井堅や大塚愛が悪いとは決して言わないけど、かれらの曲が250年生き残るとは思えない。クラシックの世界はそんな普遍のメロディで溢れてる。私が生まれるまえからあり、そして死んでも存在し続ける。こんなすごい世界は探求しがいがある。
しんいちろうさんが紹介してくれたCDはどれもすばらしくて、彼の記事がでるたびに新しいものを買うのが楽しみになった。彼がご自分の記事の中でモーツアルトのコンピレーションCDが出回っているけれど、そんなものはおそらく何度も聞きはしない。という言葉に今は大いに頷くことができる。
でもまあ、石田衣良の本についていたCDはとても役には立ったけどね。しんいちろうさんが勧めてくれたCDとこれに収録されている音を一つ一つ聞き比べてみて初めて、私は同じ曲でも演奏する人によってまったく印象が違うということに初めて気がついたのだ。
新しい世界を男性に教えてもらうのは楽しい。
石田衣良もエッセイで書いていたけど、音楽や小説は人を愉しませるために人が作ったもの。
作った人は何年もかけてウンウン唸りながら作り上げたのかもしれないものを、私達は寝転がりながら、気楽に愉しむことができる。
自分が本当に好きなこと、趣味をもって生きていきたいと思う。
40代、50代になって仕事や子育てが自分の手からはなれた時、文化砂漠になっていないように。
この本はhttp://www.t-i-forum.co.jp/lfj/と深く関わっている。
二回目を迎えたこのGW中に東京で開かれる音楽の祭典「熱狂の日」。今回のテーマは生誕250年のモーツァルトだ。(ちなみに一回目はベートーヴェン)
石田衣良の代表作、「池袋ウエストゲートパーク」を読んだひとなら知ってると思うけれど、あの100枚くらいの短編には必ず一曲、その物語のテーマともいえるようなクラシックが出てくる。
主人公のマコトがクラシック好きで、彼が事件の謎と闘いながら車の中でかける曲や彼の実家である池袋の果物店でマコトが店番をするときに流す曲、など登場の仕方はさまざま。
石田衣良がクラシック好き、(さらにオーディオマニア)なのはその後のエッセイなどでよくわかってきたので、彼が「LOVEモーツァルト」を出してくれた時は、これはいいテキストになるなあと思った。
恥ずかしい話、私はクラシックに対する知識はおそらく小学校低学年レベル。(いやもっと低いかも)
この本には1238円という値段のわりにありがたいことにモーツァルトのCDがついている。
聴いてみてわかったけど、私がモーツアルトの曲で知っていたのは交響曲40番ト短調K550だけ。おまけに短調と長調の区別もつかないし、K550の意味もまったくわからなかった。(現在の知識ではK550というのは作曲された順番につけられた番号。500後半から600番台は35歳で亡くなった彼の最後の方の曲たち。ちなみに短調と長調の区別はいまだつかないけど私の主観で書けば、短調は悲しげな曲で長調は明るく伸びやかな印象)映画アマデウスはかろうじて学生の頃にみていて、彼の人生がどんなものだったかはなんとかわかっているという程度でした。
この本についているCDはあらゆる曲のいいとこどりで(まあ値段が値段だし文句言うなという感じだよね)
これでは物足りないなと、本の中の石田衣良が愛聴しているCDでも何枚か購入してみようかと思っているところへ、よく読んでいるブロガーさんがこんな特集を組んでくれた。http://blog.livedoor.jp/shinkimu1125 モーツァルトで10枚、予算は2万円。
同じ買うなら、詳しく教えてくれるひとがいたほうがずっとありがたい。
私の回りにいままであった音は「消費される音」でしかなかった。
もっと詳しく書くと、「そのシーズンごとに消費される音楽」。桜咲く季節であれば「桜ソング」という具合で、持っているIPODに入ってる曲も特別思い入れのある数曲以外はしょっちゅう入れ替わり、一度消された曲はたいてい二度と入ることはなかった。
でも改めてクラシックの世界を見てみると、モーツァルトにしたって、250年ものあいだ、人々に愛されて演奏されつづけているのだ。平井堅や大塚愛が悪いとは決して言わないけど、かれらの曲が250年生き残るとは思えない。クラシックの世界はそんな普遍のメロディで溢れてる。私が生まれるまえからあり、そして死んでも存在し続ける。こんなすごい世界は探求しがいがある。
しんいちろうさんが紹介してくれたCDはどれもすばらしくて、彼の記事がでるたびに新しいものを買うのが楽しみになった。彼がご自分の記事の中でモーツアルトのコンピレーションCDが出回っているけれど、そんなものはおそらく何度も聞きはしない。という言葉に今は大いに頷くことができる。
でもまあ、石田衣良の本についていたCDはとても役には立ったけどね。しんいちろうさんが勧めてくれたCDとこれに収録されている音を一つ一つ聞き比べてみて初めて、私は同じ曲でも演奏する人によってまったく印象が違うということに初めて気がついたのだ。
新しい世界を男性に教えてもらうのは楽しい。
石田衣良もエッセイで書いていたけど、音楽や小説は人を愉しませるために人が作ったもの。
作った人は何年もかけてウンウン唸りながら作り上げたのかもしれないものを、私達は寝転がりながら、気楽に愉しむことができる。
自分が本当に好きなこと、趣味をもって生きていきたいと思う。
40代、50代になって仕事や子育てが自分の手からはなれた時、文化砂漠になっていないように。
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